霊長類

人間へと至る進化史において霊長類段階が達成した特筆すべき特徴は、指の発達と集団生活である。

指の発達
哺乳類のうち、最初から草原などの平地に適応した種は、四本脚で効率的に走ることのできる骨格構造を獲得した。しかも、草食獣は獲物に襲い掛かる必要がないので、足先に蹄を発達させ、大地を蹴って走り回ることに特化した脚の構造となった。一方、肉食獣、特にネコ科の動物などは、単独で獲物に襲い掛かって仕留める捕食形態や、森林の中で木に登るという生活行動の必要性から、鋭い爪を持つ足の構造を残した。これに比べると、イヌ科の動物の足の構造は両者の中間的なものと言えるであろう。(この点が、同じ二足歩行動物でも、一部の恐竜や鳥類全般と違うところである。)
これに対して、霊長類は、樹上生活に適応することで、それに見合った足の構造を獲得した。木の枝をしっかりと握ることのできる長い指である。サルの手足を見てみればすぐわかるように、すべて人間の手のような構造になっていて、物を掴むのにすぐれた構造になっている。霊長類の指は、すべての哺乳類の中で最も器用に働く身体部位であり、のちに人間段階に至って、様々なものを製作する際に役に立つことになる。この指の発達がなければ、天然の素材を加工して、自らの役に立つものを次々と創り出していくという人間の特性は存在し得なかったはずである。
しかも、霊長類の中のヒトへと至る系列は、やがて樹上生活を捨てて、平地での生活に適応していく中で、直立二足歩行型の身体構造を獲得する。それに伴って、手が歩行機能から切り離されて、物を掴む、握る、摘む、弄るなどの工作機能に特化された器官へと変貌を遂げていったのである。
集団生活
哺乳類の中には、多くの草食獣やイヌ科の肉食獣のように群れをなして生活するものと、ネコ科の動物のように単独生活が基本のものがいる。樹上生活に適応した種で言えば、リスやネズミの仲間は単独生活が基本である。それに対して、霊長類は集団生活が基本的なスタイルである。
群れを作って生活するということにはどのような意味があるのか?それは、集団の中で、他の個体の認識のあり方を予想しながら行動する必要が出てくるということである。餌の取り合いや共有、異性をめぐる駆け引きなどでは、集団の中での力関係や自分の地位を常に意識しながら行動しなければならない。ということは、他の個体が諸事に関してどのようなことを考えているかを、自分の頭の中であれこれ想像し、その予想に基づいて行動することが求められるということである。ここに、認知心理学で「心の理論」と呼ばれている認識構造の原初形態が見られる。
もちろん、他の動物でも他個体の意図を読むということはある程度は行なうであろう。例えば捕食動物は、獲物が次にどのような動きをするかをある程度予測しながら捕食行動を行うのだし、オスどうしが縄張りを主張しあったり、メスをめぐって駆け引きをするというのはよく見られる光景である。しかし、チンパンジーの群れの中での個体間関係に見られるような、極めて“政治的な”駆け引きなどは、他の哺乳類ではあまり見られないものである。それは、やはり、集団で生活することを常態化した種特有の進化的発展と考えてよいと思われる。
また、集団生活の常態化は、共有認識の発達をも促すことになる。個体どうしが協力したり、駆け引きしたりしながら一定の秩序を創り出す場合、個体どうしが同じ認識を共有できるようになっていなければならない。これはすなわち、相手が自分と同じ認識を持っているということを確信できるということでもある。そのような信頼関係を抜きにした単なる本能的集団性だけでは、人間社会へと至る発展の芽は存在し得ないのである。