動物

いつのことかはよく分かっていないが、進化の道筋において、多細胞生物は動物と植物に分化した。今日見られる動物細胞と植物細胞の根本的な相違を考えれば、多細胞化以前、単細胞の段階で分化していたのかもしれないが、それはここではあまり重要なことではない。人間性の考察にとって重要なことは、多細胞生物の中で、太陽光を利用しながら自ら養分を作り出す生物と、他の生物を食すことで養分を摂取する生物との一大分岐が起こったということである。前者は、ほとんど運動器官を発達させなかったのに対して、後者は、動き回ることをその本質とし、そのための体制を様々なレベルで発達させることになった。

運動器官自体は単細胞生物でも具えていることがあるが、多細胞生物で注目すべきは、運動器官・感覚器官・体内調節器官が細胞組織として分化し、外部に関する情報を収集しながら動き回れるようになったことである。特に、『眼の誕生』(アンドリュー・パーカー)で描かれているように、古生代カンブリア紀の直前に眼という器官が登場し、本格的な空間認識が可能になってからは、対象物の形や場所を的確に捉えることができるようになり、動物どうしでの食う・食われるの関係が生態系全体にわたって展開することになった。カンブリア紀に“進化の大爆発”という形で登場した多種多彩な動物たちが、諸種の硬質組織やそれをも打ち砕く強力な顎や歯を持つようになったのは、まさに眼の誕生に、そしてそれに促される形で全面的に展開するようになった動物どうしの捕食関係によるものであろう。

また、眼の誕生と捕食関係の成立は、動物たちの認識能力の発展をも促したはずである。空間の中で捕食対象を感知・識別し、その相手(これまたもって動く!)を捉えるべく自己の運動器官を制御しながら近づいて行って捕まえる。捕食対象動物の方もまた、捕食動物の動きを感知したら、素早く逃げ出す。そういった食う・食われるの必死の攻防の中で、外界の情報を分析し、それに対処できるように運動器官を制御する情報統括器官である脳が分化することになった。もちろん、多細胞生物の身体が、感覚器官や運動器官などの外界向け器官のみならず、呼吸器系・循環器系・消化器系など体内調節に携わる諸器官を分化させたことにより、これらを適切に制御する必要が出てきたわけであり、脳はその任をも担うことになる。魚類から今日の我々に至るまでの脳の構造の変遷を見れば、その分化・発展の跡がはっきりと見て取れる。