感情の進化

動物の認識は、その最も原初的な段階では、特定の刺激に対して特定の反応を行なうという定型反応である。しかし、感覚器官が複雑化し、複数の感覚情報を脳で統合して、行動の仕方を決定するような仕組が発達してくると、統合的外界像における情報の分析や状況の推測に基づいて行動を決定する計算的処理過程と、特定の刺激に対してそのような計算的認識過程を経ずに一気に行動をある方向へと駆り立てる短絡的処理過程が分化してくる。後者の認識処理過程を情動という。情動は、感情の進化的起源をなしている。

情動の分化
では、何故そのような認識処理過程の分化が起こったのか?それには内部的な要因と外部的な要因がある。
内部的な要因としては、基本的欲求の必要性がある。動物にとって能動的に動き回る活動というのはそれなりにエネルギー支出を伴うものである。中でも捕食行動や求愛行動は、生存と繁殖という生物にとって最も重要な役目に直接かかわる行動である一方で、エネルギー支出の点では個体に大きな負担を強いることの多い行動でもある。従って、食欲や性欲といった内から湧き上がってくる駆動力ががなければ、外部的状況の困難さにめげたり、手間・暇を惜しんだりして、捕食行動や求愛行動をしない個体が出てきてしまうかもしれないのである。そうなっては一大事なので、個体をそのような行動へ有無を言わさず駆り立てる短絡的認識処理過程が必要なのである。
また、外部的な要因としては、緊急事態への迅速な対処の必要性が挙げられる。外界の状況というのは、分析・推測だけでは行動決定のための結論がすぐに出ないことも多く、事が緊急を要する場合、それでは個体の生存を危うくする可能性があるのである。特に、天敵に遭遇した場合にそれにどう対処するかの決定などは、一刻を争う緊急事態であり、時間をかけて考えている暇などないことが多い。そのような状況では“計算”などすっ飛ばして、個体をある行動へと一気に導くような認識の仕組も必要なのである。相手を攻撃したり、相手から逃避したりするように個体を速やかに導く情動が“怒り”や“恐怖”の感情の起源であることはよく知られているが、これらの情動成立の背後には認識における短絡的処理の必要性がある、ということを銘記しておくべきである。
愛情の起源
哺乳類のように動物が子育てをするようになると、認識に更に重要な感情が加わる。親の子供に対する愛情である。子育て動物では、子育て期間中、親は自分がお腹をすかしていても、子供に餌を優先的に与えたり、敵に襲われないように子供を見守ったりするなど、長期にわたって親の自己犠牲的行動が必要となる。また、子供が捕食動物に襲われそうになった時には、自分の身を呈してそれを妨害することもある。このように、子供のために親を自己犠牲へと駆り立てる心的駆動力として、愛情という感情が生まれたのである。「無償の愛」などという言葉があるが、哺乳類の親が子供のために提供する手間と犠牲は、直接の見返りを求めない行為という意味で、まさに無償の愛の好例と言えるであろう。
親和性の起源
人間へと至る進化の最後のステップである集団生活は、もう一つの重要な感情の源泉となる。個体間の信頼関係を醸成する感情、親和性である。集団生活において、成員どうしが長期的に協力関係を維持するためには、個体間の相互的信頼関係の構築と維持が重要になってくる。基本的なところで相手は自分の利益になるように行動してくれるし、また、自分も相手の利益になるように行動するという共有認識が個体間に存在すれば、餌の確保・分配をはじめとする様々な活動において、集団が協力的な行動をとることができるし、成員間の細かい損得を巡るトラブルもスムーズに解決することができる。このようなことから、仲間を信頼する方向へと個体を駆り立てる短絡的認識処理が定着していったのである。